おせっかえる、はばたけ!~社会人になった井上君(仮名)インタビュー~①

WAKWAKUでサポートしていた井上君と再会したのは、2025年4月27日の日曜日。
初任給をもらったのでと言って、お菓子を届けてくれた井上君に、インタビューさせていただきました。

その時のお話を、数回に分けてお送りします。

栗林:井上君、就職おめでとうございます!こうしてわざわざ来てくれて、本当に嬉しいです。今日は少しお話もできるということで、どうもありがとう。自分が納得できる就職となりましたか?

井上:就職活動では、商社と外務省のどちらにするかで悩みました。最終的には、民間であれば、行政よりも意思決定できるポジションになるのが早いと思って商社を選びました。それに、行政は予算が税金なので、やりたいのにできないことが多々あるのかなって。そう考えた時に、民間の方が稼ぐ感覚だったり、自分が動かせる資金の量だったりが行政よりも大きいかなと思いました。

栗:そこまで考えたんだね。

栗:井上くんのお父さんがお亡くなりになったのはいつ頃でしたでしょうかね。

井:12歳だと思います。小学校6年生の冬ごろでした。

栗:静岡の方の病院に療養っていうか治療に行っていたんだよね。

井:もともと静岡でずっと暮らしていました。東京に引っ越してきたのは、中学校2年生のタイミングでした。

栗:自然の中でのびのび育って、中学2年生の時にいきなり豊島区に来たんだね。中学生の途中で転校してくると、地域のつながりとかつくるのすごい大変だよね。

井:確かに、周りは小学校が同じで入学前から知り合いという人が多かったと思います。

栗:子育てをしていると、子どもの同級生のお母さんに分からないことを聞いたり、子どものことで相談し合ったりすることがあるけど、井上君のお母さんは親同士で交流する機会も少なかったんじゃないかな。

井:そうだった思います。ただ、静岡にいたときから、母親は幼馴染の親同士でも程よい距離感を保つタイプだったので、東京に来てすごい疎外感を感じるみたいなことは、あまりなかったんじゃないかな。

栗:お母さんは今、何をされているのかな?

井:新型コロナウイルスが流行したときに、母が働いていた店は経費削減でパートから辞めてもらわざを得なくなったんです。母親はパートだったので、そこで事実上解雇です。
今も基本的に仕事を探しているところです。

栗:コロナ禍の最初のころかな、お母さんから話を聞いた時、仕事が見つからないことがすごくつらいって話していたことを覚えてます。

井:そうですね。年齢的にも今から会社に入るってことは難しいので、趣味の範囲でも、何か得意なことができればありがたいです。

栗:中学2年生で豊島区にきて、WAKUWAKUとは「入学応援給付金」でつながったんだよね。

井:そうですね、僕が高校進学のときですかね。

栗:井上君が中学3年の1月に、お母さんが「入学応援給付金」に申し込んでくれてね。

高校合格が決まってお母さんに給付金をお渡しするときに、井上君がテニス部に入るための道具を買ってあげたいんだって聞いたのを覚えてます。その時に「お子さんのこと以外にも不安なこととかないですか」って聞いたら、他にもいろいろおありで相談を受けました。その後、井上君が高校生の時にコロナ禍が始まったんだよね。

井:そうです。卒業の1年くらい前だったと思います。

栗:高校生のときは、結構コロナ禍の影響があったよね。学校休校のあとはオンライン授業がスタートして、それでパソコンを貸与したんだよね。

井:そうですね。自宅にパソコンがなくて、映像授業を自分のスマートフォンで受けるのが結構大変でした。例えば、スマートフォンだと調べ物をしながら映像視聴することが難しい。パソコンだと、映像を視聴しながら違うタブを開いて調べられるんですけど、スマートフォンだと映像を一回止めて、タブ切り替えるってことをしなければいけませんでした。当たり前ですけど、充電もすぐになくなっちゃうから、充電しながらやらなきゃいけなくて。他にも、画面が小さくて作業がやりにくかったです。そんな時に、WAKUWAKUからパソコンをいただいて、大学生のボランティアさんがセッティングにも来てくれたんですよね。

栗:そうだったね。

井:非常にありがたかったです。授業ではほかにも、研究発表用のポスターを作ることもあったので、パソコンいただけて本当に嬉しかったです。

栗:良かった良かった。

井:ありがとうございます、本当に。

 ― 第2回につづく ―