T君のお話

それは、2011年の夏の終わりのことでした。プレーパークに遊びに来る中学3年生のT君が、「高校行けるか分からない」とぼそっとつぶやいたのを、おせっかいおばさん栗林は聞き逃しませんでした。

「通知表に1があるから都立無理って言われた」というT君の言葉に、「無理じゃないよ!」と応え、帰り道に我が家の場所を教えて「勉強したくなったら協力するからいつでもおいでね!」と言って別れました。

ところが別れた5分後「ねえ、ほんとに勉強教えてくれるの?」とT君が玄関前に聞きに来たのです。私にも同じ年頃の息子がいますので、思春期のT君のすがる想いと不安を察知し、「もちろんだよ」と即答しました。

そして9月11日から毎日、我が家を開放した無料塾が始まったのです。

「教師の資格を持っているのか?」「勝手なことし受験に落ちたら責任とれるのか?」と周囲から非難も受けましたが、もう時間がありません。

誰かに任せるより引き受けるしかないと思いました。しかし、慣れない勉強に行動が伴うはずもなく、まずは約束の時間に来る練習です。6時に来るはずが9時過ぎに来たり、時には迎えに行ったりという日々、それでも「よく来たね、エライ」と褒め、全てを受け入れ、信頼関係を深めることに努めました。わからないことにこだわらず、わかるようになったことを褒めました。

彼の夕食はいつもの500円以内のコンビニ弁当から、我が家の粗食になりました。家族で食べる習慣のない彼は、私の家族と「一緒にご飯を食べるなんて無理」だと言い、私とふたりで夕食をとりました。「だって悪いよ」「だって迷惑でしょ」「だって」が口癖の彼に、どうか自身の自己肯定感が育つようにと全てを肯定し、時間と想いを注ぎました。

2か月後、T君が「ここに居てもいい、勉強でまちがってもいい」とフツウに思えるようになった10月下旬、T君サポーター(講師)を学生4人に依頼し、私を含め5人体制で学習支援を続けることになりました。英語、数学、社会と、それぞれの得意科目を教えてもらったのです。学生サポーターは、プレーパークで一番子どもの気持ちに寄り添える学生ボラの青年です。学生サポーターも、T君を支える実感に、やりがいと希望を持って関わってくれました。

そして12月21日、私はようやくT君のお母様に会うことが叶いました。地域の個人塾にT君を繋げるため、お母様に「東京都チャレンジ支援」という助成金を申請して、受験準備の塾代金20万と高校受験料免除の手続きを勧めました。しかし、助成金申請には保証人が必要で、孤立している母子に保証人の当てはありません。そこで、私が保証人を引き受けました。保証人は、高校進学したら償還免除ですが、高校進学しない場合は、20万円の返済義務があります。私は保証人を受けたものの、正直20万円の返済は経済的に困難でした。

悩んだ末、友人に事の顛末を説明して、「地域の子どもを、地域で一緒に支えてほしい」と相談をしたのです。困っているT君を支える私。困っている私を支える仲間。仲間は千円のカンパを募り、1か月間でなんと、約100名のT君サポーターとカンパ11万円が集まりました。プライバシー保護と個人情報に配慮しつつ、信頼できる人から人への有機的なつながりで、T君の現状をリアルに伝えたことが、結果的に「子どもの貧困」という見えにくい問題を、地域の方に知ってもらう機会となったのです。

一方、T君は、高校受験に向けて、冬休みにこれまでやったことのない長時間の勉強に取り組みました。しかし、昨今の社会状況と高校無償化で、底辺校といわれる都立高校も高倍率です。頑張ったものの結果は不合格でした。彼は受験に失敗して初めて母親に「高校に行きたい」と自分の気持ちを伝えることが出来ました。また保証人がきっかけで繋がったスクールソーシャルワーカーや中学養護教諭の協力で、中学で三者面談が実現し、3月14日に二次募集で都立高校に合格を果たしました。

ハラハラドキドキの受験サポートでしたが、この100名ものつながりはT君だけに留まらずに「全ての子どもがおとなになることにワクワクしてほしい!」という思いを込めて、「地域の子どもを地域で見守り地域で育てる」をコンセプトに「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」を設立しました。

2012年6月24日、生活産業プラザで開催した設立シンポジウム「地域を変える 子どもが変わる 未来を変える」には、80名を越える地域住民が集まり、湯浅誠氏に基調講演をお願いし、T君や学生サポーターとともに無料塾報告をいたしました。なによりT君の「今まで生きてて一番うれしかった」の言葉に、おせっかいおばさんは感無量でした。(終)

最終更新日:2017/09/10